風の盆恋歌の誕生秘話?!

高橋治氏作のこの小説、じっくりと皆さんに読まれているらしいですが、どちらかと言えば、女性より男性、それも中年以上のオジサン。
潜在的な憧れみたいなものが、重なるのかも?ネ!
 
 そもそも、昭和58年の風の盆、オサム先生(その時は直木賞作家なんて全然知らない)と、新潮社の人と、この明日香に取材に来店。
今程には混雑してない頃でしたものの、風の盆本番中。この私のことですから、内心「ン〜〜ン、いい加減にしてよ!」って思ってました。
その少し前、8月下旬に父(おわらの唄い手)を見送ったばかりで、ホントはおわらに出たいんだけど世間態もあって、窓の外ばかり気にしていましたっけ。え?、勿論私じゃなく、私の旦那サマのこと。
そのときは、何時もの物好きな取材ぐらいに思って忘れていたのですが、翌年の夏、月刊新潮に2ヶ月にわたって連載されたのです。
しかも、その題名は <崖の家の二人> だったと思います。
内容は、皆さんご承知の通りなのですが、私個人的には、此処だけの話、本能的に不倫は好きじゃないし、やっぱり結末は悲しいし、ストーリーはどうって事ないや、っておもいました。が、背景の描写がとても臨場感があって、なんて美しい表現なんだろうと感動したのを思い出します。
後になって解ったのですが、小津安次郎の助監督をなさっていた事、どうりで読んでるうちに、いつの間にか周りの景色が映像の様に見えて来る訳だわ。
 
 そうこうしてるうちに、オサム先生からお葉書が届き、単行本になること、そして、題名を変えたい、そう、<風の盆恋歌> って。
私と主人は、これなら売れる!って直感。なんか、ワクワク胸が高鳴るのを覚えた記憶が今蘇って来ます。
 
 初版本が贈られて来ました。芹沢桂介さんのデザインの。
見開きに、太い筆書きでサインが書かれていました。  〜喫茶「華」の夫婦に〜  って。
その時、同じ様に取材に協力なさった方々10〜15人の所へ、この本が贈られた筈です。
 今、改めて初版本を捲ってみて、昨今の風の盆のいろんな現象の元凶は、やはりこの本が出発点だ!って思い知ったところです(笑)
 
 そして、この時の何通かのハガキ、手紙、勿論、初版本は、大事な大事な私の宝物です。
正子(2003.7.10)

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