寒稽古

天気予報なんか当てにならない、暖冬なんて何処吹く風!と、文句タラタラの一月が漸く過ぎ去ろうとしています。
まあ、年末年始、雪が沢山降りましたわ。
でも、程ほどに消えては降ってというパターンが3回、もし、このまま2月以降沢山降らなかったら、やはり暖冬と言うべきなのかも、?
町の通りにはほとんど雪は無くなり、暦の上では節分、立春と、嬉しい春の到来なのですが、昔から年寄りは寒が明けてからが本格的な寒さが来ると、陰寒(かげかん)という言葉を使いました。
言いえて妙です。

我が上新町では、従来から2月第一大安から第二大安までの7日間、曳山囃子寒稽古なる行事があります。
寒明け後になるんですが、1月は何かと忙しいからか、ずーっとこのパターンで続いています。
若い衆はじめ、町の主だった役員のエライさん達は全員お祭りの法被を着て公民館に集合。
初日と最終日には酒肴で今年のお祭りの無事を祈願します。

今でこそ、「おわら」がマスコミを賑わせていますが、この変?な風潮の無い20年くらい前までは、八尾の町は春のお祭りが済まねば「おわら」の話題すら出なかったものです。
もっと極端な話、おわら派、まつり派と分かれてさえいました。
今では誰でも祭り、おわら両方の三味線を弾きますが、それまでは重複する人はごく少なかったものです。
他所の町はどうなのか知りませんが我が町は今のところこの伝統は続くものと思います。
若い衆は早めに公民館へ行って、暖めたり、昆布茶をつくったり(これも昔からの慣習)、終われば後のかた付け等、勤めを終えてからの一仕事ですから本当にご苦労サマなことです。
でも、この習慣がある限り、伝統はしっかりと受け継がれる事と確信しています。

2月は冬浪漫、待望の雪はイマイチかも、でも、毎年新しい冬浪漫が待っています、どうぞお越しを。


「 町筋を 寒行僧の 鈴通る 」

正子(2010.1.30)
戻る